認知症介護の真実:介護とは何か?理想と現実のギャップ

介護とは何か?

昨今ではヤングケアラーなんて言葉をよく聞きます。
要介護者の子ではなく、孫が介護している状況を指します。
それだけ、幅広い世代に「介護」という言葉が浸透していますね。

そんな身近な「介護」ですが、新人介護職員として働き始める時、最初のオリエンテーションや研修などで「介護とはなんぞや」的な話をされること、ありませんか?

あれ、ほんと無意味だと思ってます。

今回は、「介護とは何か?」の定義をあえて確認しながら、それを問われる意味について考えてみたいと思います。

介護ってどういう意味?

広辞苑第7版では、介護の意味を次のように記載しています。

高齢者や病人などを介抱し、日常生活を助けること

そう言われれば、まあそうだなって納得しますね。

しかし、近年でも「介護」という言葉の意味が統一的ではないという指摘があるそうです。

ちなみに、広辞苑第2版には「介護」はなく、第4版には、

(中略)介抱し看護すること

とあります。

「介」抱と看「護」で「介護」になったという説があるみたいですね。

では、広辞苑で「看護」と調べてみると・・・

傷病者に手当をしたり、その世話をしたりすること。看病。

と記載されています。

「手当て」という点で医療的な意味合いはありますので、ここが
介護の意味とあまり差がありませんよね。

実際、明治時代では、ほぼほぼ「看護」で統一されていたようです。

 

辞書から介護の定義を紐解こうとすると、わけがわかりませんね。

先述の通り、介護に法的な定義づけはされていません。

ただ、【社会福祉士及び介護福祉士法】第2条において、このように記載されています。

「介護福祉士」とは、第四十二条第一項の登録を受け、介護福祉士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、身体上又は精神上の障害があることにより日常生活を営むのに支障がある者につき心身の状況に応じた介護
(喀痰かくたん吸引その他のその者が日常生活を営むのに必要な行為であって、医師の指示の下に行われるもの(厚生労働省令で定めるものに限る。以下「喀痰吸引等」という。)を含む。)を行い、並びにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うこと(以下「介護等」という。)を業とする者をいう。

引用:社会福祉士及び介護福祉士法

これと広辞苑での意味を掛け合わせると、

高齢・病気などが原因で心身に障害があり、
日常生活を送るのが困難な人に対して行う支援

これを介護という意味にまとめることができます。

ですがこれは僕がなんとなくまとめたものですので、全国共通の認識ではありません

それに、ここで言う支援にはもちろん「看護」も含まれてくるので、結局のところいたちごっこですね。

キラキラ介護士が言いがちな介護の意味

どの介護施設・事業所にも一人はキラキラ介護士がいると思います。

いること自体は別にいいと思うんですが、そういう方は介護の定義をこのように言いがちです。

「介護」と「お世話」は違う

これよく言われるけど、そういう人に限ってそれらしい根拠もないんですよね。
「〇〇させていただく」的な奉仕精神を語る人もいますが、それは自己満であって根拠じゃないと思います。

根拠らしい根拠については、【介護 世話 違い】で検索するとヒットしますので、是非見てみてください。

その中では、介護とお世話の違いを次のように分けていました。

  • 世話は、相手よりも自分の都合を押し付けるもの(=過介護)
  • 介護は、その人らしく生活できるように行うもの

最もらしく聞こえますが、さて、どうなんでしょうか。

先述しましたが、広辞苑では「介護」の意味を次のように記載しています。

高齢者や病人などを介抱し、日常生活を助けること

では、「世話」はどうでしょう?
広辞苑を見ると・・・

人のために尽力すること
面倒を見ること
面倒をかけること

「面倒」という言葉がネックになるかもしれませんが、おおよそ意味に違いがあるとは思えません。
それこそ、個人の解釈の違いです。

仮に介護士という仕事が奉仕精神を前提としているのであれば、「人のために尽力する」ことはまさしく「介護」なんじゃないでしょうか?

最もらしい言葉を飾り過ぎると、逆に本質が見えてない人間に陥りがちなので、注意したいですね。

介護に意義を問うてくる施設の自己満

ここまでお話しした通り、介護とは、「高齢者や病人の介抱・看護」からの造語です。(諸説あります)

いつしか社会問題となった介護は家族や医療機関だけでは手が回りきらなくなり、やがて介護福祉を生んだのです。

僕は好きで介護に携わっているので少々発言が矛盾しますが、強引に介護を崇高なものに定義づけようとしているのは、介護のイメージをよくして人材不足を解消しようという目論見があるためです。

残念ながら介護を崇高なものと信じてやまない介護職員はほんの一握りです。

ですが、またまた残念ながら、その一握り以外の介護職員(=介護に崇高なイメージがない介護職員)の方が優れている場合もけっこう多いですよ。

また、介護は今やビジネスの時代です。
というか、ビジネスの視点なくして今後の介護は成り立ちません。

だからフリーランスの介護福祉士も増えてきています。
フリーランスの介護福祉士とは、介護保険適用外のサービスを提供している方々です。

そういう方々も根底には「介護が好き」っていう思いもあるのでしょうが、「好きを仕事にする」のはリスクがあります。

うまくいかなかった時などに、一気に嫌いになるかもしれないからです。

「介護が好き」なのは、自分の介護への考え方を信じてやまないからだと思います。
キラキラ介護士によく見られる傾向です。

ですが、介護はチームケアですので、必ず自分の考えに横やりを入れてくる人がいます。
その横やりが客観性です。

好きを仕事にしていると、主観性が強いところからスタートします。
なので、客観的な意見が気にくわず、突っぱねるか、受け入れても自分自身の点数を下げてしまうことになります。

そんなんじゃビジネスは成り立ちません。
だから、「優れた介護士=介護のイメージが崇高」とは限らないんです。

ということは、職員に介護の意義を問うてくる施設は、崇高なイメージを持った自己完結型なんですよね。
意識高い系とも言いますかね。

意味を持たなくても介護は楽しめる

介護が好き

介護は奉仕

介護士たるもの・・・

 

こんな考えを一切持っていなくても、優秀で利用者さんから好かれている介護士は山ほどいます。

「介護はつらい仕事だから、好きじゃないと続かない」

これは間違った考えです。

介護の仕事が続けられる人の多くは、落としどころを分かっているから続くんですよ。

落としどころとは、「ここの手を抜いても、誰にも迷惑がかからない」ところのことです。
例えば、介護記録を要点はおさえつつ時間を掛けず簡潔に書く、などですね。
あるいは、効率化を図るために、既成概念を打ち壊すアイデアを出すことも落としどころを作る手段です。

最初から100点満点を求める減点方式の介護業界において、満点を取りにいかない人が、介護を楽しみながら続けることができるんです。

逆に、介護に意味を求めすぎる人=満点を取りにいく人は、自分の考えや慣習を疑いもせず、それにそぐわない職員に「利用者により良い生活を」とか言って矯正を求めてきます。

そう、改善ではなく、それは矯正・強制です。

これがなくなれば、もう少し人材不足も解消するんじゃないかなって思います。

僕は人生のうちで満点を取りにいったことがない(というか取れないw)ので、こうしてだらだら楽しく介護に関われていると胸張って言えますね。

あなたも、満点なんて狙わずに、だらだら楽しくやれていますか?

それができない施設・環境にいるのであれば、それはあなたが悪いのではなく、周囲の人間が悪いんです。