特別養護老人ホームでの認知症患者受け入れの始まり
1987年、特別養護老人ホームで認知症患者の受け入れが始まりました。
同年に介護福祉士や社会福祉士という国家資格が生まれて、その後介護保険制度が創設されました(2000年)。
福祉分野で認知症高齢者を手厚く介護していきましょうという土台を作ったんですね。
でも、認知症研究は医療(精神医療)分野に含まています。
にもかかわらず、現在に至るまで、認知症ケアの主体は福祉分野が担ってきました。
なぜ医療ではなく、福祉が主体になったのでしょう?
医療と介護の違いとは
医療と介護の違いとは、そもそも何なのか。
業務内容で言えば、文字通り医療行為の有無が大きな分かれ目になります。
しかし、看護業務には、「食事・入浴・排泄など日常生活上の世話」が含まれています。
医療現場においても、介護と同等の行為が行われているということになります。
ちょっと視点を変えて、両者の目的について考えてみましょう。
医療を行う目的
医療を行う目的は、基本的に病気やケガの治療です。
看護業務に日常生活上の世話が含まれているのは、治療効果を損なわないための健康管理の一環であったり、廃用症候群などの合併症を防ぐためです。
全ては治療のために行われています。
介護を行う目的
介護の目的を考えるには、介護の定義を知るのが良いと思います。
別の記事でもテーマにしているのですが、介護とは「高齢・病気などで障害があり、日常生活を送るのに支障がある人に対して行う支援」と、介護従事者には聞かされていますよね。
言い換えれば「できない部分を補って日常生活を送れるようにする」ということになります。
なので、ケアプランの長期目標・短期目標は目標指向型で作るとされています。
目標指向型とは「〇〇ができるようになる」など、それを達成することで、より良い状態になるように設定された目標のことです。
「介護とは何か?」とか定義を問うことに意味を求めちゃいけない
医療・介護の目的は「視点をどこに置いているか」が違う
僕が昔受けた研修会で、こんな言葉を聞かされました。
医療は、「今を生きる」ために行う
介護は、「明日を生きる」ために行う
医療の目的である治療は、極端に言えば、「命を救う」ために行われます。
「命を救う」とはつまり、「今、死なないように」「今、生き抜くために」ということです。
転じて、「今を生きる」に行きついたのだと思います。
介護の目的である日常生活の支援は、「その人らしく生活できるような支援」を前提に行われます。
なんとなく、未来に視点を置いたような考え方ですよね。
なので、「明日を生きる」ということなんだなと思います。
少し歯を浮かせにかかってる感じがしますが、イメージの良い表現だなと思います。
さて、これが今回のテーマ、【認知症患者受け入れの黒歴史】にどう関わってくるのか。
僕の偏見に凝り固まった見解をお話ししていきましょう。
介護施設と病院の黒歴史
先述の通り、特別養護老人ホームで認知症の方の受け入れが始まったのは、1987年です。
話はそれより前に遡ります。
認知症は精神障害?介護施設を取り巻く闇
1963年、老人福祉法が制定されました。
少しややこしい話ですが、介護施設は老人福祉法を根拠にしてます。
介護保険法は?って思っちゃうところですが、介護施設は介護保険法ができる前からあって、老人福祉法によって規定されています。
特別養護老人ホームも同様です。
当時の特別養護老人ホームは基本的に、「介護にお困りの方は誰でもどうぞ」ってスタンスの受け入れ態勢でした。
介護保険制度ができる前は措置制度(行政が入所の可否を判断する)でしたけどね。
ところが、老人福祉法が施行される1964年、厚生労働省から、一転して「精神障害とかがあって手がかかるなーって高齢者は特養入んなくていいです」という内容の通達が出されます。
はぁ!?(# ゚Д゚)ってなりますよね。
このお達しでは、「認知症」じゃなくて「精神障害等」と明言しています。
今でこそ認知症は脳機能の障害であると知られていますが、当時、認知症は精神上の障害であると認識されていました。
その認識が障壁になって、認知症高齢者は特別養護老人ホームの入所対象外になりました。
それが、1987年まで、ゆうに20年以上も続きます。
これがいかに認知症患者家族を落胆させたかは、想像に難くありません。
闇ですね。
やむを得ない身体拘束・・・病院の黒歴史
特養の受け入れ態勢についてその闇っぷりを発揮していた頃、認知症高齢者の受け皿になっていたのが、老人病院や精神病院と言われるところです。
精神障害に分類されていたからか、この頃の主体は医療側だったんですね。
認知症の方を介護する家族の苦労を思えば、受け入れ先があっただけマシだという考え方もあるでしょう。
しかし、その病院の中では、手足を縛られるとか、強い薬を飲まされてぐったりしている・・・などの光景が、日常的にあったといいます。
身体拘束全盛期ですね。
まさに黒歴史。
介護施設が身体拘束ゼロを現場に強要する真意とは?身体拘束と身体抑制の違いも解説します
アドボカシー・権利擁護とは?介護士が高齢者虐待と身体拘束を学ぶ意味
身体拘束があるのをわかってて預ける家族の気持ちは?
認知症に困っているとは言え、家族としては、拘束ありきで入院させるのには不快感を感じるはずです。
文句のひとつも言ってやろうって家族はいたかもしれませんが、(限度があるにせよ)「治療上必要な措置です」と言われると、反論しにくいですよね。
かつ、他にも入院を希望する家庭なんてたくさんあるはずですが、認知症は(現在でも)治療が困難ですし、治ってないのに帰ってこられたら家族も不安。
じゃあどうする?
「そうだ、特養行こう」
ここから始まる介護施設の黒歴史
病院では治療上、拘束はやむを得ない場合が多々あります。
そこで1987年、一度はシャットアウトした特養での認知症患者受け入れが始まります。
この20年間は何だったんでしょうね。
とにかくまあ、介護施設で受け入れてもらえるなら、問題のひとつだった社会的入院も解消できて一石二鳥!!
・・・と、そんな都合よくはいきません。
介護施設でも身体拘束や虐待は発生しました。
今だから言えることですが、その状況はどうしようもなかったんだろうなと思います。
2000年に介護保険法ができるまでは、措置制度(行政が入所先を決める)による介護施設入所でした。
なので、介護施設側も、どんな重い認知症状がある方でも受け入れざるを得ない状況です。
当時はまだ対人援助・認知症ケアなんてまともに確立されてなかったので、うまくやれる人が少なかったでしょうね。
あせる厚生労働省!身体拘束を止めなくちゃ!
せっかく認知症患者の受け入れ先を作って、病院での身体拘束問題を解消しようと思ってたのに、虐待が止まらない状況は当然よろしくありません。
そこで、厚生労働省が満を持して切ったカードが、「身体拘束禁止規定」です。
この規定は介護保険制度の中に盛り込まれており、施行されたのは2000年です。
ちなみに高齢者虐待防止法は2006年。
特養での認知症患者受け入れが始まったのが1987年なので、10~20年くらい費やしてようやく体制を整えたんですね。
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厚生労働省よりも早く行動した現場職員たち
状況が状況だから仕方がない。
状況を改善する制度ができるのを待つしかない。
そんなわけがありません。
法が整備されるよりもずっと早く、身体拘束が横行している現状を打破しようと、行動に移した人たちがいます。
1986年、ある病院で掲げた「縛らない看護」。
1998年、福岡の病院による「抑制廃止福岡宣言」。
他にも「どうにかしなきゃ」と思った現場の職員はたくさんいたことでしょう。
こんな活動が、その後の身体拘束禁止規定や高齢者虐待防止法のような、高齢者とその人権を守るための法律につながっていったんじゃないかと思います。
最後に
先述した通り、介護分野では「身体拘束禁止規定」が設けられていますが、病院の診療報酬(医療提供の対価)の中で、身体拘束廃止の取り組みという要件を含んだ加算や、認知症ケア加算が設立されました。
また、近年ではとかく、医療・福祉の連携の重要性が訴えられています。
- 医療は、「今を生きるため」に行うもの
- 福祉は、「明日を生きるため」に行うもの
明日を生きるためには、今を生きなければいけない。
明日があると信じられなければ、今を生きる力が生まれない。
「今」と「明日」は別のものではなく、この2つを線でつないだ先に「未来」があるのだと、これまでの歴史から学べるんじゃないかなって、そう思います。