「アルツだと思ったら実は…」前頭側頭型認知症の知られざる真実

前頭側頭型認知症の歴史

前頭側頭型認知症4大認知症のひとつとされていますが、その知名度はいまひとつ。
患者数の割合も、全体の1%と言われています。

これは僕個人の意見ですが、「アルツハイマー型認知症だと思ってたら、実は前頭側頭型でした!」みたいな方が大勢いらっしゃるんじゃないの?と思ってます。

事実、症状を見てみるとそれに該当する方、施設で結構お会いしました。

ピック病爆誕

前頭側頭型認知症の始まりは、ピック病の発見からになります。

第1症例

ピック病の第1症例は71歳男性。
失神発作を起こしてから言葉がうまく出なくなりました(失語)。
しばらくしてさらにせん妄見当識障害も発症。
その1年半後には奥さんを威嚇しながらスプーンをいじいじするという不可解な行動をとるようになり、1891年に入院しました。

この男性を診察したのが、アーノルド・ピックです。

ピックの観察によると、この男性に見られる症状は加齢による機能低下ではなく、「左側の脳委縮と脳梗塞かも」とのことでした。
この男性は入院の同月に亡くなっていますが、その後の検査の結果、まさに左側頭葉の萎縮が特にひどかったそうです。

第2症例以降

第2症例は1896年、67歳女性です。
失語、味覚障害、幼稚な言動などを発症し、左側頭葉の萎縮がありました。

第3症例は1898年、61歳女性。
失語が見られましたが、今度は前頭葉の萎縮でした。

第4症例、1901年、59歳女性。
記憶・判断力低下、無関心、異常行動など多くの症状があり、左側頭部の広範囲に萎縮が見られています。

 

ピックは左側頭葉の部分的な萎縮(限局性脳萎縮)が失語に関係していると主張しましたが、その主張はしばらく日の目を見ませんでした。

そこで援護射撃したのがアロイス・アルツハイマーです。

アルツハイマーが調べた限局性脳萎縮の症例には老人斑と神経原繊維変化(※)がなく、後にピック球と呼ばれる塊が見られたっていう発表をしたことで、ピックさんの主張が注目されるようになったんです。

※神経原繊維変化=神経細胞の中に繊維状の塊ができること

アルツハイマーのその発表が1911年でしたが、1926年、医学留学中の男性2人が、限局性脳委縮とピック球がみられる疾患をピック病と名付けます。

実は、そのうち1人は大成潔さんて日本人だったらしいです。

ピック病なんてないんじゃないの?

ピック病と名前がついてからの研究はなかなか進みませんでした。

命名後、日本とヨーロッパでは人格障害を主とした認知症疾患とされていましたが、失語があるってことは忘れられてたとのこと。
さらに、北米の人が「アルツとピックの違い?わかんない」ってなっちゃったもんで、「ピック病なんてなかったんじゃない?」的な扱いが1980年代まで続くことになります。

そのピック病への疑問視を後押ししたのが、1974年の「ピック球ありませんよ」という発表です。

そもそもピック球の発見って結構難しいそうですが、ピック球あってこそのピック病と思われてたので、ないと言われたら、そもそもピック病なんてないんじゃないの?って思いますよね。

そんなこんなで、ピック病の概念はしっちゃかめっちゃかになって、言う人によって定義が違うって結果になったんです。

案外テキトーに生まれた認知症

ピック病論争がごたついたので、もう概念から変えちゃおうよという話になりました。

  1. 1987年:非アルツハイマー型前頭葉変性症
  2. 1988年:前頭葉型認知症

という概念が生まれました。
もはや何が違うのか皆目検討もつきません(^^;

そして、1994年。

AとBを統合して、前頭側頭型認知症という概念が誕生します。

なんか超強引な力技を見せられた感じで釈然としませんが・・・。

 まとめ

概念としての歴史は他の認知症より大分若手です。

それで知名度がまだ低いために、患者数の割合も低いのかもしれません。

ピック病に関しては結局、「前頭側頭型認知症のうち80%がピック病っぽい」ってことで現在は落ち着いてます。

両者とも見られる症状群は概ね同じで、ピック病はピック球、前頭側頭型認知症は異常なたんぱく質と、原因物質の違いということになっています。

まだまだ歴史が浅く研究が途上なので、現在の結論的には、「よくわからん」という感じでしょうかね。

僕たちのような介護従事者であれば関わる機会も多いですが、芸能人で言うと、栗田貫一さんなどが発症しており、それをドキュメンタリーか何かで取り上げられ、(人格変化などの症状から)あまりの亭主関白ぶりに大炎上したようです。