レビー小体型認知症の歴史と雑学~名付け親はレビーじゃないの?~

レビー小体型認知症

認知症と言えば、昔はアルツハイマー型認知症と脳血管性認知症のツートップでした。
しかし近年、着々と順位を上げている気鋭がいます。

レビー小体型認知症です

原因疾患はレビー小体病になります。
これらの病名は発見者から名付けられるのがメジャーで、レビー小体病もそうではあるんですが、他とはちょっと一線を画している説があります。

レビー小体型認知症の起源から、順にお話ししますね。

発見者

お察しの通り、レビー小体病という名前は発見者が由来です。
厳密に言うと、「レビー小体病の誕生のきっかけを生んだ人」の名前が付けられたわけです。

1912年、パーキンソン病患者の脳内から、あるタンパク質の塊が発見されます。
これが後に「レビー小体」と名付けられるわけですが、発見者の名前が、お察しの通り、フレデリック・ヘンリー・レビーさんです。

ちなみに1910年から2年間だけですが、アロイス・アルツハイマーさんとは同僚だったそうです。

レビーの人生波乱万丈

レビーさんの人生は波乱万丈です。

  • 診療所の助手やってるうちに、数年前に見つけたタンパク質の塊に自分の名前(レビー小体)が付いてた
  • 医科大の准教授になって、神経内科の施設を建ててやろうと思ってたら、同じ医科大の教授に「お前好かんからダメ」言われた
  • その9年後にようやく施設を建てて施設長になったけど、翌年ナチスがイタズラして助成金もらえなくなり解雇
  • ドイツから出てイギリスはロンドンへ引っ越したけど、就職できずニート化
  • なんか知らんがせっかく持ってた教員免許をドイツ教育省に剥奪された
  • 「いいもんアメリカ行くもん」ってニューヨークへ行き、脳外科コンサル開始
  • 数年後、アメリカ陸軍中佐になった(なぜ?)
  • さらに数年後、脳外科の方に復帰
  • さらにさらに数年後の1950年、急性心筋梗塞で亡くなる

波乱万丈ですねえ。

 

…あれ?レビー小体病は?

 

って話なんですけども、実はレビーさん、後に「レビー小体」と名付けられるものを発見しただけで、それが脳にどう作用するのかまではわかってなかったんですね。

レビーさんがそれを発見してから7年後の1919年、ロシア人医師のコンスタンティン先生が、第1発見者であるレビーさんに敬意を表して名前を使わせてもらったそうです。

当のレビーさんは「なにそれ?つおい?」って感じでさっぱり重要視していませんでした。

もちろんレビーさんも研究しなかったわけではないんです。

実際、レビー小体はパーキンソン病の診断にも重要な要素になることが1950年代にわかっています。

でも結局、パーキンソン病との関連も含めて、レビーさんがご健在のうちに世間の注目を浴びることはありませんでした。

ちゃっかり発見した日本人

レビー小体発見から実に60年以上を経て、ここにレビー小体病が爆誕します!

そう!ここ、日本に!

 

2010年頃だったでしょうか。
テレビでレビー小体型認知症を啓発するCMをやってまして、それで「日本人医師が発見した」と確か言ってました。

レビー小体病を第1症例として発表したのが小阪憲司先生。
1976年のことでした。

症例の患者は、発表当時65歳の女性で、56歳の時に首が勝手にぴくぴく動いたり、進行性の物忘れなどが出てきたそうです。
65歳になる頃には強い認知症状に加え、パーキンソン症状も顕著とのことでした。

 

1950年代当時、パーキンソン病と認知症はそんなの関係ねえと思われてたし、レビー小体型認知症の発症要因である「レビー小体が大脳皮質に発生する」という考えはありませんでした。

そんな定説を跳ねのけようと、小阪先生は認知症とパーキンソン症状を主症状として、「大脳皮質にもレビー小体はあります!」って症例をいくつか発表して、1984年、びまん性レビー小体病と名付けて、欧米からも一目置かれるようになりました。

そして1996年、レビー小体型認知症としての診断基準が設けられたわけです。

びまん性ってなに?って話ですが、ややこしいので、普通のレビー小体病とそう大差ないというで納得していただきたい。

おまけ話~パーキンソン病~

パーキンソン病とレビー小体病の関係については↑にも載せた別記事で述べておりますが、パーキンソン病を発見したのは、ジェームズ・パーキンソンさんです。

1817年にパーキンソンさんがその症例を書いた書籍を出して、例によって後程、別の方がパーキンソン病と名付けたそうです。

まあそりゃ、自分で付けてたら「自己顕示欲高っ!」って思われますもんねえ(;・∀・)

まあとにかく、関係の深い2つの疾患ではありますが、パーキンソン病発見からレビー小体病発見までは150年以上経過しているんですね。